蒲田和芳によるファシアケア

新ウェブサイト開設のお知らせ

リアライン・ラボのウェブサイトを新設しました。
2023年3月以降、産前/産後の不調に対する「ファシアケア」のご予約は以下のサイトからお申し込みください。

https://realinelab.com/

 

蒲田和芳について

ごあいさつ

はじめまして。蒲田和芳(がまだかずよし)と申します。富山県出身で、幼いときから富山平野ののどかな田園、庄川の流れ、そして聳え立つ立山連峰の景色を見て育ちました。研究者、教育者、起業家・経営者、臨床家(理学療法士)、トレーナー、父、夫などのいくつかの役割を楽しんでいます。関節の痛みや不調(ジョイントヘルス)、産前・産後の不調(ウィメンズヘルス)、アスリートの関節機能向上トレーニング(リアライン・トレーニング)について、多くの方と情報共有できることを楽しみにしております。

さらに、長期間にわたって痛みや不調に苦しむ方、引退を考えざるを得ない症状のアスリートの皆さんには、このサイトの記事をお読みいただくことで出口の見えない不調にも解決の可能性があることに気付いていただきたいのです。そして、何か、当サイトもしくは蒲田がお手伝いできることがあれば、躊躇なくご連絡ください。

本サイトの記事について

いろいろな仕事に取り組む中で、私が一番興奮するのは「治すこと」です。痛みや不調に悩む方が満面の笑顔になったときに、人生の喜びを感じます。しかし、自分の限られた時間で関わることのできる人はごく僅かですので、いろいろな方法を用いて快適な体を増やしたいと考えています。

研究や教育も重要な手段です。より多くのセラピストや医療者が治療法を理解し、それを使いこなせるようになることが、快適な体を増やす一助になると考えています。企業経営によって、セミナーやリアライン商品を通じて、治療や予防に役立つ「関節を整える方法」を社会に広めることができます。

しかし、まだまだその速度は十分とはいえません。2020年3月までは大学教員でしたので、研究や教育に軸足をおいていましたが、もっとスピードを挙げて、多くの方に治療法を広めていく必要があると痛感しています。

そのような中、新型コロナウイルスの感染拡大によって、対面でのセミナーの中止が余儀なくされ、またこれまでリアライン商品の販売ルートであった医療機関や治療院の患者さんが減少しました。このことは、上記のような治療法や予防法の普及・啓蒙の活動も減速を余儀なくされました。一方で、関節など身体の不調に悩む方が減っているわけではありません。

そこで、このRISのウェブサイトを立ち上げて、記事を通じて快適な体を取り戻す方法を多くの方に届けることを決意しました。エビデンスに基づく医療が求められる現代ではありますが、すべての不調に対してエビデンスに基づく解決策が整っているわけではありません。エビデンスに基づくだけでは治せない症状も多く存在します。このような中で、新しい研究テーマとなりうる新しいアイデアや症例経験をできる限り公開したいと考えています。

エビデンスレベルV(opinion)記事は「信頼できない記事」であります。そのまま治療の根拠とはなりません。あくまでも未来の医療の発展のためのヒントを集めた場所と割り切ってご覧いただけると幸いです。もちろん、記載内容に明らかな間違いが含まれている場合は、ご指摘のほどお願い申し上げます。

略歴

職歴

1998年~2003年 横浜市スポーツ医科学センター整形診療科理学療法室長
2003年~2005年 コロラド大学ヘルスサイエンスセンター 整形外科バイオメカニクス研究室(ポスドクフェロー)
2005年~2006年 フロリダ大学機械・航空工学科 整形外科バイオメカニクス研究室(リサーチフェロー)
2006年~2014年 広島国際大学 保健医療学部 理学療法学科 准教授
2015年〜2020年(3月) 広島国際大学 総合リハビリテーション学部 リハビリテーション学科 教授
2015年~2020年 (社)日本健康予防医学会 副理事長

 

臨床・スポーツ現場

1995年 福岡ユニバーシアード選手村診療所(理学療法士)
1996年 アトランタオリンピックJOC本部医務班(理学療法士)
2000年 シドニーオリンピックJOC本部医務班(理学療法士)
2007年~2008年 蜂須賀整形外科(非常勤理学療法士)
2008年~2012年 和光整形外科(広島市、臨床アドバイザー)
2008年~ 貞松病院(長崎県大村市、臨床アドバイザー)
2010年~2015年 アオハルクリニック(東京都港区、ゆがみ外来担当)
2021年 東京オリンピック・パラリンピック 選手村診療所理学療法士

 

学歴

1991年 東京大学 教育学部 体育学/健康教育学科 卒
学士(教育)
1994年 東京大学大学院 教育学研究科 修了(前期課程)身体教育学専攻
修士(教育)
1995年 社会医学技術学院 夜間部 理学療法学科 卒業
理学療法士免許
1998年 東京大学大学院総合文化研究科修了(後期課程)身体科学専攻
博士(学術)

 

プロジェクト

「歪み撲滅」

全身の関節の歪みの予防法や治療法を作り上げて,それを誰もが簡単に使えるように普及させることを目標としています。足の歪みは外反母趾に,膝の歪みは変形性膝関節症に,骨盤の歪みは仙腸関節痛や腰椎疾患につながります。これらを確実に予防できるような器具や運動、もしくは手を使った治療法を開発していきます。

歪み撲滅を進めるため,これまで様々なリアライン器具を開発してきました。具体的には以下のような商品があります。これらを活用して,虫歯予防のための歯磨き習慣と同様に,誰もが簡単に歪み対策に取り組むことができるような社会作りに貢献したいと考えています。

「癒着の医学」

未開の大地です。指先で体内の癒着を探しあてる技術を「精密触診」と呼んでおり、私が商標を取得しました。これを使うと、筋肉や骨だけでなく、神経や血管の痛みを探り当てたり、内臓の状態を把握したり、治療したりすることができます。生理痛や便秘、尿もれ、関節の癒着による可動域制限、筋力低下をもたらす筋の癒着などを触知し、治療することができます。

私は、この触診や組織間リリースの技術を売りたいのではなく、これらの経験から、医学の研究テーマにすらなっていない新しい知見が数多く得られてきました。例えば、胃の後面で交感神経に触れると頭痛が誘発されたり、卵管と陰部大腿神経の間に指が入り込むと生理痛と同じ腹痛が誘発されたりします。これらは、これまでの医学では知られておらず、全く新しい知見です。新しい知見を研究テーマとして研究を進めていきたいと考えており、いろいろな分野の医師や研究者との共同研究を推進したいと思っています。

研究業績

蒲田が取り組んできた研究や各種プロジェクトをまとめた業績集はこちらのリンクよりダウンロードできます。

ヒストリー

出身地
富山県高岡市

学生時代
東京大学ではアメリカンフットボ-ル部の活動が中心でした。本当のところは、高校の先輩が大活躍していた京大ギャングスターズに入りたかったのですが、工学部原子力工学科の受験の壁を超えられず断念。東大の合格発表の際に声をかけてもらい、その後とんかつをご馳走になっていつの間にか入部しました。

1年生のときに、上級生の練習に初めて参加した日に、主将との1 on 1で大腿四頭筋断裂を受傷。スポーツ活動歴で初めて1ヶ月間の負傷離脱を経験しました。2年生のときに、同級生の宮田剛太郎君が試合中の頭部外傷によって他界したことをきっかけに、スポーツ医学を志すことになりました。3年生では、4年生のリーダーシップの下で念願の一部昇格を果たしました。4年生では留学準備とフットボールの両立に悩みつつ、前半は留学準備のための単位取得、夏以降フットボールに復帰するという中途半端な生活となってしまいました。大学時代の唯一の後悔は、この4年生の前半をフットボールに没頭できなかったことです。

大学卒業後は、大学院と専門学校(夜間部理学療法学科)に入学し、学位取得と理学療法士免許取得を同時進行で進めることになりました。午前中は大学院、午後はフットボールの練習か日本体育協会スポーツ診療所での研修を経験し、夜は専門学校で学びました。そして、23時に帰宅すると、大学院のゼミの準備、スポーツ診療所の課題、専門学校の試験勉強などを行う生活を4年間続けました。フットボールだけでなく、生活でも4クォーター制でしたね。

故宮田君の分まで生きようと決意したのが20歳のとき。それから1995年4月に理学療法士免許を取得、1998年3月に学術博士の学位を取得するまで、全力で駆け抜けたと思います。この間、人生の方向性を決めていく上での恩師と出会えたことが最大の財産だと思っています。

◆「理学療法士」を勧めてくださった鹿倉二郎氏(当時ソニー企業)
◆フットボール部助監督で,チームの安全対策をリードしていただいた川原貴氏(東京大学教養学部→JISS)
◆「スポーツ理学療法士」のいろはを教えてくださった川野哲英氏(当時スポーツ診療所)
◆フットボールのチームドクターの黒澤尚氏(東京逓信病院→順天堂大学整形外科)
◆東大教育学部の体育学科教授として導いてくださった宮下充正氏(当時東大教育学部)
◆アスレティックトレーナーについて教えてくださったJim Whitesel氏(シアトル・シーホークス ヘッドトレーナー)
◆大学院博士課程の指導教官でもあり,スポーツ整形外科への入り口に導いてくださった中嶋寛之氏(東京大学教養学部→日本体育大学)
◆大学院博士課程の指導教官であった福林徹氏(東京大学教養学部→早稲田大学→有明医療大学)

これらの恩師には言葉では言い尽くせないほど深く感謝しております。

職歴

●横浜市スポーツ医科学センター(1998-2003)

大学院卒業と当時に開設された横浜市スポーツ医科学センターに入職させていただきました。研修以外に職歴のない私でしたが,故高澤晴夫氏(同センター長)に理学療法室長として迎え入れて頂きました。三木英之氏(同センター→とつか西口整形外科)に信頼していただき,小さな失敗も無数にありましたが,思う存分臨床に没頭することができました。

1999年のWCPT(世界理学療法士学会)でシンポジウムでご一緒したMark DeCarlo氏(Team Rehabilitation)の講義内容に触発されました。Dr. Shelbouneの手術と術後リハビリテ-ションを1週間見学して,完全伸展の獲得の重要性を痛感しました。完全な可動域とアライメントの回復(もしくは修正)を最優先とする考え方は「症候群としての捉え方」というタイトルでスポーツメディシン誌に連載させていただきました。当時から編集長であった故清家輝文氏には,20歳のころから約30年間に渡りお世話になり,いろいろな執筆のチャンスをいただきました。2019年の12月に他界されてしまい,残念でなりません。

この30歳のときに考えていた治療方針は少しずつ整理され,2008年にリアライン・コンセプトとしてまとめることができました。そう考えると,20代で得られる経験,自由な発想,小さな失敗の積み重ね,そしてそれをまとめる機会というのは,ライフワークを形作るものになっています。20代の若者に失敗するチャンスを与えることを強く意識して,後輩たちの指導を行いたいと思います。

●アメリカ留学(2003-2005)

2003年6月から2006年3月までアメリカでの研究留学を経験しました。アメリカには一人旅を含めて何度も行っていたので,いろいろと小さなトラブルはあっても,楽観的に受け止めることができたと思います。この時期,障害はいろいろあっても,万難を排して一歩前進する「突破力」を身につけられたと思います。

留学中は,コロラド大学のJoel Bach氏,フロリダ大学のScott Banks氏にたいへんお世話になりました。特にScottには,帰国後にも関節の動態解析研究を続けることができるよう,研究の分析技術を教えていただき,またソフトウエアを提供してもらい,2006年からの研究に大きな支えとなりました。

●広島国際大学(2006-2019)

2006年4月に広島国際大学に入職し,理学療法士の育成を担うことになりました。入職当時から,研究と臨床の両面において国際的に活躍できるセラピスト研究者を養成することを目標として,学部生を中心に研究室の活動を開始しました。大学院医療工学専攻において大学院生を募集することができるようになり,大学院生は常時5-8名,最大10名となった時期もありました。彼らが研究をリードしてくれたおかげで,14年間の在籍中に70編以上の査読付き論文を公表することができました。大学院OBは,大学や臨床現場で活躍してくれており,それぞれ専門分野のリーダーとして力強く人生を歩んでいます。

この間,大学院だけでなく学部教育も担っていました。理学療法研究法,スポーツ外傷治療学,運動療法学などの授業を担当しました。また,臨床実習のサポートやキャリアサポート,多職種連携,入試業務など一通りの委員会活動を経験し,大学運営をある程度理解することができました。

2020年3月末をもって,同大学を卒業させていただくことになりました。Next stageに進むきっかけは,理学療法学専攻の定員増加(60名→80名)の決定でした。大学経営として,志願者の多い専攻の定員を増やすことは当然のことと理解しつつも,これは私の仕事ではないと直感しました。若手のセラピストにフィロソフィーを伝え,高度な技術を教え込み,そして国際誌に掲載される研究を推進する,といったリーダー養成と,80名の学部生教育との両立は不可能と判断しました。学部生には申し訳ないのですが,2020年4月以降は卒後教育に専念させてもらいたいと思います。

●株式会社GLAB(2008- )

2008年6月26日に株式会社GLAB(ジーラボ)を設立し,代表取締役に就任しました。当時,共和ゴム株式会社の寺阪社長と二人三脚でリアライン・インソールの開発を進めており,その商品化が見えてきたことで会社設立を決意しました。広島国際大学の母体である常翔学園から50%出資していただき,大学発ベンチャーとしての船出ができました。このことは,助成金取得や他者とのコラボレーションを進める上で,力強い後押しとなりました。

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